IT農業が変えた“心の余裕”、地域とともに生きる企業の覚悟
設置場所 所在地 福島県河沼郡 栽培作物 ミニトマト 作型 夏秋長期(4月中旬~11月) 施設面積 15a導入機器 ZeRo.agri-2500 専用操作端末 1台 ゼロアグリ 1台 点滴チューブ ストリームライン 液肥 OATハウス1号2号
1年の中で7~8月しか食べられない「プチぷよ」を知っていますか? 福島県河沼郡会津坂下町のアルス古川が栽培する地元で話題のミニトマトです。兄弟3人が故郷へ帰り、“地域に貢献する企業”として挑戦する同社。プチぷよの栽培にはゼロアグリをいち早く導入しています。園芸を担当する古川純平さんは、IT農業を導入したことによって「心の余裕が生まれ、新たなビジョンが広がった」と語ります。
お金に変えられないITシステムの価値
―アルス古川では兄弟3人が故郷で農業に従事されていますよね。 はい。もともと父が集落内で水稲の機械共同利用組合を立ち上げ、水稲を栽培していました。父は建設会社に勤めていたため、最初は兼業農家でした。水稲の規模が大きくなったタイミングで長男と一緒に独立して、アルス古川を設立したのが始まりです。2番目の兄弟は、東京でWebデザインの仕事をしていましたが、そこを辞めて会津に戻っています。―純平さんはなぜ故郷に戻ろうと思ったのでしょうか。 私は東京でアパレル業界の販売員を7年間やっていました。故郷に帰って農業をしたいと長く思っていたのですが、東日本大震災の影響で会津にも風評被害もあり、父親からは「まだ帰る時期でない」と言われていました。ですが、逆に東日本大震災があって気持ち的に吹っ切れた面があるし、国の補助金が活発化したこともあって「今ガムシャラにやらないで、いつやるんだ」という気持ちで農業をするために帰ってきました。 水稲の育苗は春に温度を保つため、ハウスで苗を育てます。水稲の規模が拡大してハウスの棟数も増える中、育苗期間外の空いた期間に何か利用できないかと色々な作物を作付けし、検討してきました。その結果、水稲と両立できたミニトマトに落ち着きました。
―ITシステムを導入しようと思ったのはなぜですか? 東京で働いていたのでITという言葉に馴染みはありましたが、最初は「パソコンを使って農業ができるの?」と思いました(笑)。ただ周りで活用している人はいなかったから、導入すると話題になるし、農業の活性化につながるのではないかと……。経営的な面はあまり考えずに、導入すると面白そうだなという感覚がありました。―実際に導入した感想を教えてください。 面白そうだなという感覚で導入したので、最初は成果を求めていませんでした。しかし、入れてみて分かったのが「心の余裕」ができたことです。 私は兄弟の中で最後に田舎に戻ったので、一番手間のかかる園芸をやらされました(笑)。トマトは病気になると、薬剤をまいたり、収穫が遅れたりと1つのミスから手間が増えてしまいます。気持ちに余裕がなくなるんですよね。仕事が大変なのは当たり前ですが、パートさんなど手伝ってくれる人を笑わせながら仕事する状況も作れなくて……。 ゼロアグリは水を自動的に管理してくれるので、病気が圧倒的に減りました。自分で考えて取り組んでいたときは、1棟まるまる病気で全滅するなどの失敗も多かったです。収量を上げたいとか、もっと細かく作業がしたいと思える心の余裕ができました。昼寝の時間も確保できるようになりましたし、パートさんとの会話も大事にしようとか考えられるようになったのは、お金に変えられないゼロアグリの価値だと思っています。―他に何か変化はありましたか? 中学からの顔見知りで、年齢が1つ下の長谷川君を社員として雇用しました。同級生や年齢が近い人と酒を飲むと、どうしても愚痴が多いし、仕事の話をしたがらない印象があります。でも私はずっと農業がやりたくて、東京から田舎に帰ってきたので非常に楽しいです。仕事に熱を持っている人間が地方に少ない気がして、皆は何がしたいのだろうと思っていました。その中で、1人だけ農業の話に食いついてきたのが長谷川君でした。
ハウスの増設によって面積が広がる中、地域の人もパートとして協力してくれていますが、70歳前後のおじいちゃん・おばあちゃんなので何年手伝ってもらえるか分かりません。 家族ではない人を一から育てて、私たち家族と同じ方向を向いて、農業を楽しんでくれる人材を育てないと、会社の未来を考えられなくなっています。未来のことを考えて取り組むときに、自分たちだけでは完結しません。会社の規模が拡大するほど人を採用したいと思っていますし、長谷川君にも育てる側に回ってほしいです。今は農作物を育てる企業ですが、いずれは「人を育てる企業になりたい」と思っています。
「地域にどれだけ貢献できるかを大事にしたい」
―新しいことに取り組む必要性は、昔から感じていたのでしょうか。 会津坂下町は、昔から米どころとして東北でも有数の地でした。皆が大変な思いをしながら山を切り開き、米の栽培を続けてきた誇りがあります。しかし、米を続けていれば問題ないと思っていた人たちが高齢となり、今の経営状況では息子たちに「継いで」と言えない時代になってしまいました。そのような中、父親が「集落の田んぼを継続できる会社にしたい」という目標を掲げて法人を設立。兄弟3人でやっていることも含めて、地域や自治体から、応援や期待をしてもらっていたことが大きいかもしれません。 また会津坂下町の認定農業者の中で40歳以下の若手会を独自に作っています。50人弱と多くの若手がいるので、町全体で新しいことに取り組もうという雰囲気はありますね。―園芸を始めたのも、1つの新しい挑戦ですよね。 園芸をやろうと思ったのも、1つ目標がありました。引退してしまったおじいちゃんとおばあちゃんは、引退したくてしているわけではありません。大型機械を運転したり、長時間歩いたりする作業が体力的に難しくなっているだけです。気持ち的にはやりたい方が多いので、パートとして手伝ってもらっています。30~40年農業を経験してきた感覚や勘は、私たちが1~2年やるだけでは全然追い付けないレベルです。そのような長年の知恵とITの力を組み合わせることで、他にない付加価値が生まれると思っています。 長谷川君も興味本位で入ってきて、まだ右も左も分からない状況ですが、おじいちゃんとおばあちゃんに可愛がられています。このように今までの農業の歴史や良い文化を学んで、私たちが年を取ったときに経験として伝えられたらと思っています。会社としての利益は重要なのですが、地域にどれだけ貢献できるかも大事にしていきたいです。
―今後の展開について教えてください。 兄が会社の存続をかけて、さまざまな取り組みを進めています。2016年から地域の担い手農家と取り組んでいる事業が「ホールクロップサイレージ」です。国の生産調整(減反)の影響で余った米は、信じられないほどの量になります。だから減反で作付けができない水田を利用するため、葉山牛を扱う神奈川の企業と提携しました。8月に水稲を刈り取り、乳酸菌をかけて発酵させたものを牛に与える取り組みを進めています。 2018年から減反は廃止する方針となりましたが、アルス古川では12ヘクタールほどの米を減反で失いました。減反が廃止になると、米の価格が暴落してしまいます。小規模の米農家にとっては、値段が下がるけれど、その分たくさん作れば良いとなるだけかもしれません。 しかし大規模農家にとって米の価格が下がることは、作るのも、人手にも、機械にも何にも投資できなくなります。だから会津では減反を推進するけど、減反でも収入が安定するやり方を模索してきました。米の価格は国が決めるのではなく、自分たちの力で決め、底上げしなければという気持ちで、ホールクロップサイレージを進めています。―ありがとうございます。最後に一言、お願いします。 ゼロアグリを導入したことをきっかけに、日々違った視点で新しいことに取り組むことができています。将来的にはハウスごとに作物を変えて、ナスやキュウリなどの栽培にも取り組みたいです。新人が入ったときにハウスの管理をして、色んな作物の作り方を覚えるなど、トータル的に学べる環境もそろえたいと思っています。 園芸は何が正しいか分かりません。私たちの5年後、10年後も今の形態と変わっているでしょう。何を伝えたいかというと、IT農業を導入して収益が上がったみたいなことではなく、今まで挙げてきた「将来のビジョンが広がる」ということを強調したいです。